2010年9月23日木曜日

縄文土器・土偶・埴輪など

先日用事があり、新潟県十日町市を初めて訪れました。市内を車で走っているときに、火焔式土器の看板を見かけたので、十日町市博物館に寄ってみました。この博物館は小ぶりな市営の施設ですが、平成11年に国宝に指定された火焔式土器(実は20個もあります)を始め、縄文時代から近世にいたる地域の生活や織物産業、そして信濃川の水運などに関する充実した展示がされていました。特に縄文時代人の生活を再現したジオラマは圧巻でした。

博物館前に再現された竪穴式住居(奈良時代)
この博物館のエントランスのところに、ガチャガチャが何台か並んでいて、そのうち興味を引いた「埴輪と土偶+土器」シリーズ(エポック社)を一回買ってみました。中に入っていたのは踊る埴輪(女性)でした。

そんなこともあって、それから土器、土偶、埴輪などに何となく関心が向き、先日国立東京博物館に見に行ってしまいました。また、このガチャガチャのフィギャーも気になって仕方が無かったので、楽天で全種そろいのセットを大人買いしてしまいました。今日はこのフィギャーの写真を紹介します。写真の背後に写っているマス目は1Cmなので大体の大きさがわかると思います。
縄文式土器(火焔式土器)


これが十日町博物館にあった国宝の火焔式土器のフィギャーですね。縄文時代中期の作で、十日町笹山遺跡からの出土品です。用途ははっきりしませんが、これだけ凝った精緻な装飾が施されていることから、何らかの祭祀用だったと思われます。縄文時代は初期は非常に寒冷で中期は現代よりも気温が高く晩期に向かって再び慣例化して行ったようです。十日町は日本でも(世界でも)有数の豪雪地帯ですが、この土器が作られた当時はもっと温暖だった可能性があります。あとのほうで弥生式土器も登場しますが、この縄文土器のもつ創造のエネルギーの高さを非常に感じる一品です。この土器は一般の人が作業の合間に製作したというレベルではないですね。おそらく専門の工人が存在したものだと想像します。
遮光器土偶
遮光器土偶は縄文晩期の作で、青森県木造町亀ヶ岡遺跡からの出土品です。これも面白い造形ですね。目の部分がはれぼったく見えますが、これはイヌイットなどの北方民族が使用した雪メガネ(スリットの入ったメガネで雪原の反射による強烈な光をさえぎるサングラスのようなもの)と考えられています。全体の体型や衣服の文様、頭部の複雑な髷など、非常に興味深いですね。これを宇宙人の像だと解釈する人もいるようです。実物は重文で東京国立博物館に所蔵されています。
ヴィーナス土偶

ヴィーナス土偶は縄文中期の作で長野県茅野市の棚畑遺跡からの出土品です。妊娠した女性の身体的特徴をよく映した像で、素朴さの中に力強さを感じます。他の土偶がほとんど破壊された状態で出土したのに、この像だけが手付かず出土したそうです。出来がよかったので壊すのに忍びなかったのでしょうか?実物は高さ45Cmで発掘された土偶の中で最大の作例のようです。



ハート型土偶
 ハート型土偶は縄文後期の作で、群馬県群馬県東吾妻郡郷原からの出土品です。顔がハート型していて、とっても不思議な造形です。妊娠している女性ではないかとも見られています。





みみずく土偶

みみずく土偶は縄文時代後期の作で、埼玉県鴻巣市滝馬室遺跡からの出土品です。これもなんか可愛い造形ですね。表情は人間のそれというよりもみみずくのように見えることから、この名称で呼ばれています。髪も複雑な形状に結ってあり、耳飾もつけています。



土偶に関しては、ここにあるWikipediaの記事を参照ください。全体にあるいは一部が破損した状態で巣yつ度することが多いため、厄除けのために人為的に破壊したものではないかとのことです。また、土偶の出土は圧倒的に東日本が多いようです。

それで時代は下って弥生時代ですね。 弥生時代の特徴は稲作農耕文化と言われていますが、最新の研究では縄文時代でも栗の木を植えて育てるなどの農耕は行われており、稲作も一部で行われていたようです。とすると、弥生の特徴としては青銅器文化を持った異文化(異種族)の流入ということになるのではないかと推定しています。
弥生式土器
縄文式土器に比べると、弥生式土器は垢抜けており、作りも精巧です。この土器は弥生後期の作で、名古屋市熱田区高蔵町からの出土品です。デザイン的にも優れており、現在でも通用しそうですね。

武人埴輪
次は埴輪ですね。埴輪は3世紀から6世紀にかけて古墳時代に製作された、素焼きの焼き物で、古墳上に並べられたものだそうです(埋められていたんじゃなかったんだ)。このサイトに古墳上に埴輪が置かれている再現写真が掲載されています。最初は円筒型のようなものから始まり、人物、動植物、家などの形象のものがあったようです。


写真の武人埴輪は6世紀のもので、群馬県太田市から出土したものです。桂甲といわれる甲冑を着用しており、当時の武装の状況を偲ぶことができます。埋葬された主を悪霊から守る役割があったのではないかと考えられているようです。この埴輪は国宝に登録されています。
 武人埴輪を見ていたら昔の大映映画「大魔神」を思い出し、ついネットで探して見てしまいました。
馬埴輪
武人があれば馬もあるわけで、これはちょっと可愛い馬の埴輪です。馬といっても裸馬ではなく、結構ちゃんとした馬具を装着しています。東京国立博物館には、馬埴輪の馬具を復元したものが展示されています。これは6世紀に埼玉県熊谷市上中条から出土したものです。動物埴輪には他にも犬などがありましたがその中で馬が圧倒的に多く、当時の豪族にとって馬が重要な意味を持つものだったと考えられます。

踊る人々
最後の写真は踊る人々の埴輪です。これは7世紀の作で、埼玉県江南町野原から出土したものです。フィギャーの説明では、小さいほうが女ということになっていますが、リンク先の東京国立博物館の説明では小さいほうが男(後ろに鎌を帯に挟んでいる)と書いてありました。魂の入っていない顔ですが、ユーモラスな顔で、ポーズもひょうきんです。また、他の像に比べて動きがあって面白いですね。葬送の場における歌舞の様子を再現したものだろうと考えられているようです。

以上、見ていただいたとおり、このフィギャーは精巧にできており、子供の教育などにもよろしいのではないかと思います。また、我々の祖先の遠い姿に思いをはせる媒体としても役に立ちます。欲しい方はこちらから購入可能です(2010年9月23日現在)。(特に宣伝しているわけではありません)

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